『遊会』とは…

松岡正剛氏が出版社・工作舎で編集していた雑誌『遊』の企画として各地で開かれていた『遊会』。また、ライブハウス「ペパーランド」オーナーの能勢伊勢雄が続けている『岡山遊会』。
そして、2007年からは『四国遊会』が香川県高松市で始動。それらの精神を引継いだ『敦賀遊会』
 
誰でも参加でき、何ものにもとらわれず、そして、様々なジャンルを横超することに始まり、似ている事の気楽さや自由さを求めて、自由に参加できるのが魅力。
 
本当の自由を求め、常に変化し続ける世界を見る目を持ち、生きることの表現を持って、遊星的郷愁を求める一員でいようではありませんか。

【岡山遊会】

編集内容の先進性が今日でも伝説的に語られるobject magazine『遊』を手がけた松岡正剛氏が提唱した中心的コンセプト“遊学”をうけ、ジャンルを問わない概念の横超を実践する場として『岡山遊会』が誕生しました。
その岡山遊会も2019年で40年を迎えました。
 
原則的に毎月最終土曜、PEPPER LANDにて行っております。
 
●場所:PEPPERLAND・086-253-9758  
●連絡先:090-3372-8987(能勢)
 

2018年岡山遊会

# 446 1/27『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏+沖島聖子氏
天孫降臨から欠史八代まで『上紀』に残された日本の姿にさかのぼり、写真作品をつくっていく基礎準備として読解を進めていきます。この作業は『上紀』の記述を手掛かりに、「神世の物語」とされる世界をこの地上界に結び付ける作業です。前回は、『上紀』に記されるニニギの命の大規模な全国御巡幸を取り上げ民と神界を繋いで霊化をもたらしていく事依佐志(ことよさし)の姿を見ていきました。この回もニニギの命の御巡幸の続きをみていきました。十三綴りでは各種の奇獣退治の記録が多く残され、民の霊化として治金術、玉造り、製塩法など民が神につかえるものへの事依佐志の姿も前回同様に記されていました。
(参考文献『上紀』上巻の十三綴り〜、『ウエツフミ要録』十三の綴〜)
 
# 447 2/24『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏+沖島聖子氏
前回は、ニニギの命御巡幸途中にあらわれる奇獣の事、『上紀』に残されている古代の冶金技術がどういうものだったのかについて読んでいきました。この回で取り組んだ十四の綴りでは、三綴りに渡ったニニギの命御巡幸が終わり、ウガヤフキアエズにつながる核心部分の序章である、海幸・山幸の御幸代えの神事が語られていきます。『上紀』ではホスセリの命とホオリの命が即位を互いに譲り合う記述や、ホスセリの命の岩屋隠れなど、記紀と異なる点が多くあり、これらの相違点を中心に見ていきました。また、大石凝真素美の『新訓古事記』を読み解き、シュタイナー神秘学と結んだ笠井叡氏の著作『金鱗の鰓を取り置く術』も参考に見ていきました。
(参考文献『上紀』上巻の十三綴り〜、『ウエツフミ要録』十三の綴〜、笠井叡 『金鱗の鰓を取り置く術』)
 
# 448 3/31『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏+沖島聖子氏 
前回はニニギの命全国御巡幸が終わり高千穂に御還幸されたところまで読んでいきました。ニニギの命は全国御巡幸途中に和歌山から四国、四国から九州を船で海を渡っています。この回ではその方法、古代の船術についてみていきました。そして、十四の綴りでは、ウガヤフキアエズにつながる核心部分の序章である、海幸・山幸の御幸代えの神事が語られていきます。『上紀』ではホスセリの命とホオリの命が即位を互いに譲り合う記述や、ホスセリの命の岩屋隠れなど、記紀と異なる点が多くあります。これらの相違点、また海幸山幸の入れ替わりに注目して見ていきました。
(参考文献『上紀』上巻の十四綴り〜、『ウエツフミ要録』十四の綴〜、)
 
# 449 4/28『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏+沖島聖子氏
前回は、『上紀』の中で全国御巡幸途中のニニギの命御一行が、和歌山から四国を経て九州方面に渡海した記述を古代船術と併せて読み解きました。そして、この回では今日まで謎とされているウガヤフキアエズにつながる核心部分の序章に入っていきました。海幸・山幸の御幸代えの神事から、ホスセリの命とホオリの命が即位を互いに譲り合う記述や、ホスセリの命の岩屋隠れなど「記紀」との相違点、また海幸山幸の入れ替わりの霊的必然性について考察しました。この箇所が王位継承権についての要の記述であり、潮満・潮干の玉が無ければ王位継承の神事が成立しないことを踏まえて見ていきました。
(参考文献『上紀』上巻の十四綴り〜、『ウエツフミ要録』十四の綴〜 、『龍の國・尾道』展覧会図録、松本清張『神々の乱心』)
 
# 450 5/26『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏+沖島聖子氏
前回は、海幸・山幸の御幸代えの神事から、ホスセリの命とホオリの命が即位を互いに譲り合う記述を読解するにあたり、この箇所が王位継承権についての要の記述であり、潮満・潮干の玉が無ければ王位継承の神事が成立しないことを古神道の神行を通じて具体的に見ていきました。この回ではニニギの命の葬礼、トヨタマヒメの命御子生み、ホホデミの命の巡幸に入っていきました。ホホデミの命の御子、ウガヤフキアエズの命が生まれる綴りでした。
(参考文献『上紀』上巻の十五綴り〜、『ウエツフミ要録』十五の綴〜 )
 
# 451 6/30 『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏+沖島聖子氏
前回ではニニギの命の葬礼、トヨタマヒメの命御子生み、ホホデミの命の巡幸、即位の時に行われる儀式として神祇が読まれた事などを見ていきました。この回では、ホホデミの命の巡幸の続きになりました。天孫降臨から人皇までの最大の謎であるウガヤフキアエズの命にふれながらウガヤフキアエズの命の御即位、ホホデミの命の葬礼までを読んでいきました。また、柳田国男『山神とオコゼ』、南方熊楠『山神オコゼ魚を好むと云う事』等の文献でも言及されたように、山の神に魚を祀る風習が日本各地にありました。海幸・山幸の幸代え以降、海の神と山の神、各々の系譜に注目し、ウガヤフキアエズの命の霊統を見ていく必要がありました。並行してこの風習の謎についても考えていきました。
(参考文献『上紀』上巻の十六綴り〜、『ウエツフミ要録』十六の綴〜 、柳田国男『山神とオコゼ』、南方熊楠『山神オコゼ魚を好むと云う事』)
 
# 452 7/28『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏+沖島聖子氏
この回では天孫降臨から始馭天下之天皇(はつくにしらししすめらみこと)までの最大の謎であるウガヤフキアエズの命にふれていきました。ホホデミの命が御巡幸、神業を終えてウガヤフキアエズの命に天津御子が代わっていく流れをみていきました。本文では、太占で神意定める様子、即位にあたって神祇本系が変わっている事なども併せて読んでいきました。
(参考文献『上紀』上巻の十六綴り〜、『ウエツフミ要録』十六の綴〜 )
 
# 453 8/25 「地図を読む」 森美樹氏
これまで、写真家集団Phenomenaの写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』に続くテーマとして『上紀』の読解に取り組んでいましたが、この回では読解を一時お休みし、撮影地を探し出す上で必要な地図の読み方について見ていきました。地表(空間)の形状を一定の約束に従って面上に図形などで表示された地図を読むためには、自然や人間生活に関連する知識と地図のルールをもとに、正しく情報をつかむことが必要です。国土交通省国土地理院発行の縮尺二万五千分の一地形図を参考に用いながら、地表面の内容や自然のありさま、人間生活のようすなどから見える風景を読み解き、その地の成り立ちや歴史、自然のようすや人の暮らしなど、地図の基礎的な見方を学びながら景観構造の歴史を見ていきました。
 
# 454 9/29 「地図を読む#2」  森美樹氏
前回は国土交通省国土地理院発行の縮尺二万五千分の一地形図を前に、地図から実際の景観がどこまで正確に読み取れるかを視覚的構造(距離・角度・奥行)にもとづきビジュアリーゼーションをしていきました。この回では前回の内容を踏まえてより正確なビジュアリーゼーションを実践していきました。
 
# 455 10/27 「地図を読む#3」  森美樹氏
前回は角度・距離の視覚的構造を基に、国土交通省国土地理院発行縮尺二万五千分の一地形図の情報をグリッドに落とし込み、実際の景観を正確にビジュアリーゼーションする演習を行いました。この回ではその演習の続きからと、景観構造にふれながら、日本における神社・寺院・集落・都などにおける、境界・中心・方向・領域などの空間を構成する「地形空間の類型」についてみていく予定でしたが大脱線してしまいました。
# 456 11/24 「地図を読む#4」  森美樹氏
前回では能勢がNet上で生じている看過できないGDRP問題や、12月から商業放送が始まる8KデジタルTVの情報量がこれまでの出版物の活字総量を凌駕する問題などを遊会参加者にお伝えしたばっかりに大脱線をしてしまいました。(常連さんは遊会誕生時の遊会の姿を感じられたことと思います…。申し訳ありませんでした!!!!)前々回まで、国土交通省国土地理院発行縮尺二万五千分の一地形図の情報から、実際の景観を正確にビジュアリーゼーションする演習を行いました。この回ではその続きとして、境界・中心・方向・領域などの景観構造にふれながら、日本における神社・寺院・集落・都などにおける「地形空間の類型」についてみていきました。
 
# 457 12/22 「神仏習合」岡茂毅氏
Phenomenaの次回作のテーマ「天孫降臨から大和朝廷にいたるまで」のことを知るために読み進めている『上紀』の中心舞台は大分、宮崎ですが九州は宇佐神宮を中心に神仏習合が急速に進んだ地域でもあり、本来祭られていた神の姿が見えにくくなっています。¶このことを踏まえて、この回では神仏習合というものがそもそもどういうものであったのかを確認していきました。古来から日本では神体山信仰があり、次第に神社が出来、神を祀って暮してきました。6世紀に仏教が伝来し、中央ではなく地方から神仏習合が始まっていきます。神威の衰えた神を守るための寺院である神宮寺が建てられ、神仏習合がどこよりも進んでいた宇佐の八幡神が大仏の建立を助け、入京し大仏を拝したことが契機となり中央でも神仏習合が進んでいきます。仏を守るための神社である鎮守が建てられ、10世紀頃には仏や菩薩が神となって形を現すという本地垂迹説が広まり、神に本地である仏や菩薩の名前が与えられていくことで神仏習合は進んでいきます。大まかな流れは簡単に見えますがその内実はとても複雑です。学校の授業でさも当たり前のことのように出てきてその内実はあまり語られません。そもそもなぜ神と仏を習合できたのでしょうか?そこには山岳密教との関わりなどさまざまな下地があります。神仏習合によって何が起こったのでしょうか?神仏習合において重要な役割を果たす宇佐神宮についてもみていきました。
 
 
 

2017年岡山遊会

 
#434 1/28『次回展覧会Phenomenaのテーマについて#2 岡山藩と鳥取藩の国替え』
木村匡孝氏,柴田聖子氏
鳥取在住の写真家池本喜巳氏の運営する「池本喜巳 小さな写真美術館」でPhenomenaの写真展を企画させていただく運びとなった。前回に引き続き作品のテーマについて取り上げた。寛永九年、岡山藩主・池田忠雄が死去し、嫡男の池田光仲は幼少のため鳥取藩へ、代わって鳥取藩主・池田光政が岡山藩主へと国替えが行なわれた。この回の遊会では、何故国替えが必要であるかを池田家の家系図を参考にして、当時の戦国時代という世を背景に考えていった。
 
#435 2/25 『次回展覧会Phenomenaのテーマについて#3 岡山藩と鳥取藩の国替え』
木村匡孝氏,柴田聖子氏
前回の遊会では、何故国替えが必要であったかを池田家の家系図を参考にして、当時の戦国時代という世を背景に考えた。そしてこの回では、国替えの発端となった事件が“日本三大仇打”として現代でも新劇の演目で伝わる「荒木又右衛門」、鍵屋ヶ辻の決闘であった事を踏まえ、著者・長谷川 伸の『荒木又右衛門』を参考に、どのような事件だったのかを見ていった。鳥取の写真展では岡山藩と鳥取藩の城下町を撮影する事になった。岡山の撮影地は近くなので、「岡山遊会」の流れで実際に皆で現場に訪れた。今までの見慣れた町並みが全く違ったリアリティを持って受けとめられた。
 
#427  3/26『倭姫命世記』 読解#4   柴田聖子氏
倭姫命が天照大神奉斎の地を求めて伊勢に至るまでの放浪を記述した『倭姫命世記』を引き続き読解していきました。4月の大分県立美術館での写真展示『フトマニクシロ・ランドスケープ』との繋がりについて、またこれまで取り組んできた『古事記』読解との関わりについて、理解を深めながら進めていきました。
 
#436 3/25 『次回展覧会Phenomenaのテーマについて#4 岡山藩と鳥取藩の国替え』
木村匡孝氏,柴田聖子氏
426回の遊会では、国替えの発端となり、‘‘日本三大仇打’’として現代でも新劇の演目として伝わる「鍵屋ヶ辻の決闘」を長谷川 伸の著作『荒木又右衛門』を参考に読解した。池田忠雄が岡山藩主であった寛永7年に起きたこの事件は、岡山藩士河合又五郎が池田忠雄の寵臣である渡辺源太夫を殺傷した事がきっかけとなり、源太夫の兄渡辺数馬が助太刀の荒木又右衛門と共に仇打を成就させる。荒木又右衛門は大和郡山藩の家臣で、藩主は松平忠明、松平家は徳川家康の母体でもあった。今回の遊会では、何故池田藩の助太刀を松平家が受けたのかという理由、また関ヶ原の戦いの後岡山城主となった小早川秀秋以降の岡山藩と幕府との関係についても見ていき、国替えの全体像をまとめた。
 
#437 4/29 『鳥取の写真家 植田正治と中国写真家集団』能勢遊神氏、森美樹氏
鳥取在住の写真家池本喜巳氏の運営する「池本喜巳 小さな写真美術館」でPhenomenaの写真展を企画させていただくにあたり、池本氏の師であり、鳥取の写真家として欠くことのできない植田正治を取り上げた。参考テキストとして『植田正治とその仲間たち 1935~55』(米子市美術館 1992年)『SHOJI UEDA PHOTOGRAPHYS:(1930’s - 1990’s)』(植田正治写真美術館 1995年)を用いながら、植田正治の作風や彼に影響を与えた写真界の動き、モダニズムの影響、能勢伊勢雄の師である山﨑治雄や中国地方の写真家が参加した「中国写真家集団」の活動を日本と海外の写真史から現代まで繋げて読み解いた。
 
#438 5/27 『フォトモ』岡茂毅氏,片山貴文氏
2017年6月10日より7月9日まで、鳥取の写真家 池本喜巳氏が運営する『池本喜巳小さな写真美術館』で写真家集団 Phenomenaの写真展『鳥取岡山おもかげ考 - 城下町を中心として』が開催された。この展示では、池本氏が作品制作で用いた「フォトモ」の技法の新しい展開として、鳥取でも岡山でもない写真の上のみで構成される架空の町並みを浮かび上がらせることをテーマにした。この遊会では、展覧会に関連して写真を用いた表現のひとつである「フォトモ」について、『フォトモ - 路上写真の新展開(工作舎)』をテキストに取り上げた。フォトモは、路上で見た感覚を表現するために写真を用いた模型「光学模型(フォト・モデル)」をつくることから始まる。被写体を背景から切り取り、つなぎ、立体として組み上げていくことで一枚の平面の写真では感じ取れなかった不思議な感覚が現れてきた。人間が普段どのように町並み(風景)を見ているのか?そして「フォトモ」の中にある「フォトモンタージュ」とでもいうべき感覚を発展させた写真展についても話した。
 
#439 6/24 『上紀』『ウエツフミ要録』(上紀について) 木村匡孝氏,柴田聖子氏
古史古伝の中でも偽書として扱われる『上紀(ウエツフミ)』を取り上げていくにあたって、その内容に入る前に本書がどういったものなのかを吾郷清彦氏の著書『ウエツフミ要録』を中心に紹介した。写真家集団Phenomenaがいままで取り組んできた「フトマニクシロ・ランドスケープ」は、国の原像を写真により浮かび上がらせる試みだった。それに続くテーマとして、天孫降臨から欠史八代まで『上紀』に残された日本の姿にさかのぼり、写真作品を作っていく事を目的に読解を進めた。
 
#440 7/29 『上紀』『ウエツフミ要録』〜偽書とは何か?〜 木村匡孝氏,柴田聖子氏
前回に引き続き、『上紀』の読解に取り組んだ。写真家集団Phenomenaの作品「フトマニクシロランドスケープ」は、国の原像を写真により浮かび上がらせる試みだった。その続きのテーマとして、天孫降臨から欠史八代まで『上紀』に残された日本の姿にさかのぼり、写真作品を作っていく事を目的に読解を進めた。また前回、上紀が"偽書"として扱われるようになった歴史的経緯がテーマだった。読解を進めるに当たり、『上紀』を学問的資料として根拠あるものとして考察した田中勝也氏の著作『偽書考』、サンカ関連の資料などに触れながら、"偽書"と呼ばれた『上紀』の読み方を、取り扱い方を学習した。
 
#441 8/26 『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏,柴田聖子氏
前回に引き続き、『上紀』の読解に取り組んだ。写真家集団Phenomenaの作品「フトマニクシロランドスケープ」は、国の原像を写真により浮かび上がらせる試みだった。その続きのテーマとして、天孫降臨から欠史八代まで『上紀』に残された日本の姿にさかのぼり、写真作品を作っていく事を目的に読解を進めた。この回から『上紀』の本文に入った。古事記には一文しか書かれていないウガヤフキアエズ朝を中心に取り組んでいき、天孫降臨の部分を読んだ。
 
#442 9/30 『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏,柴田聖子氏
前回に引き続き、『上紀』の読解に取り組んだ。写真家集団Phenomenaの作品「フトマニクシロ・ランドスケープ」は、国の原像を写真により浮かび上がらせる試みだった。その続きのテーマとして、天孫降臨から欠史八代まで『上紀』に残された日本の姿にさかのぼり、写真作品を作っていく事を目的に読解を進めた。前回、『上紀』の天孫降臨の部分を読み進めていく中で、『上紀』の時代に暦月、方角、時刻等がどのように定められていたのか、考えられていたのかを理解する必要があるという問題点にたどり着いた。文献上に遺された記述から撮影場所を比定するうえでも、暦月、方角、時刻…が大切な手がかりを与える。この回では、『上紀』に書かれている暦月、方角、時刻を田中勝也著『偽書考』なども参考にしながら読み進めた。
 
#443 10/28 『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏,柴田聖子氏
写真家集団Phenomenaの作品「フトマニクシロランドスケープ」は、国の原像を写真により浮かび上がらせる試みだった。その続きのテーマとして、岡山遊会では『上紀』の読解に取り組む。天孫降臨から欠史八代まで『上紀』に残された日本の姿にさかのぼり、写真作品を作っていく事を目的に読解を進めた。これは『上紀』に遺された手掛かりをもとに、「神世の世界の物語」とされる世界をこの地上界に結び付ける作業だ。前回は暦制・方位・時間の定め方を見ていった。徐々に『上紀』の時代の感覚を踏まえながら、読解を先へ進めた。この回ではニニギノ尊の皇孫降臨の道案内を務めたサルダビコ尊の結婚と全国の巡歴、ニニギノ尊とコノハナサクヤヒメノ尊との御婚姻、二柱の御子産み。オモイカネノ尊による高天ノ原語(アマツコトトイ)五十音字の創作などを中心に進めた。
 
#444 11/25 『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏,柴田聖子氏
水声社より刊行される写真家集団Phenomenaの写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』は、国の原像を写真により浮かび上がらせる試みだった。その続きのテーマとして、「岡山遊会」では『上紀』の読解に取り組んでいる。天孫降臨から欠史八代まで『上紀』に残された日本の姿にさかのぼり、写真作品を作っていく事を目的に読解を進めた。これは『上紀』に遺された手掛かりをもとに、「神世の世界の物語」とされる世界をこの地上界に結び付ける作業だ。前回はニニギノ尊とコノハナサクヤヒメノ尊との御婚姻、二柱の御子産み。オモイカネノ尊による高天ノ原語(アマツコトトイ)五十音字の創作などを中心に進めた。この回ではニニギノ尊の全国御巡幸に入っていった。『上紀』には御巡幸の大規模な模様が書かれていて、御巡幸が単なる巡視ではなく、地方の文化向上と民と神界をつなぎ地上の霊化をもたらしたものだった。『上紀』十一の綴りでは生業の諸法、授鉱・治金の法、建築、商人の取引などの記録も遺されていた。
 
#445 12/23 『上紀』『ウエツフミ要録』木村匡孝氏,柴田聖子氏
水声社より刊行される写真家集団Phenomenaの写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』は、国の原像を写真により浮かび上がらせる試みだった。その続きのテーマとして、「岡山遊会」では『上紀』の読解に取り組んでいる。天孫降臨から欠史八代まで『上紀』に残された日本の姿にさかのぼり、写真作品を作っていく基礎準備として読解を進めている。この作業は『上紀』の記述を手掛かりに、「神世の物語」とされる世界をこの地上界に結び付ける作業だ。前回はニニギノ尊の全国御巡幸に入り、『上紀』の大規模な御巡幸について読解を進め、地方の文化向上と、民と神界を繋いで霊化をもたらしていく事依佐志(ことよさし)の姿を見ていった。この回もニニギ尊の御巡幸に基づき九州から本州に向かう道筋をみた。穴門から越ノ国までの御巡幸、諸事分担の神々、諸業の尊たち、民への生業を習得させる様子など、地上の霊化が神人一体として現れていく事を踏まえて読み進めた。
 
 
 

【敦賀遊会】

岡山遊会のムーブメントの流れを受け、2007年より伊吹圭弘氏の主宰により開始。
 
福井県敦賀市にある伊吹氏宅「游星の間」にて実施。
開催場所、詳細はPEPPERLANDのWEB SITEにて
 
【敦賀遊会の中断のお知らせです】
伊吹氏が東京から敦賀に戻りましたが、養生の為「敦賀遊会」を少しの間中断させていただいております。ご了承ください。遊会を再開する際には改めてご連絡させていただきますので、その際はよろしくお願いします。
 

【九州遊会】

岡山遊会のムーブメントの流れを受け、2010年より中野由紀昌氏の主宰により開始。
 
主に瓢箪座  http://yukaiq.jimdo.com/にて実施。
開催場所、詳細はPEPPERLANDのWEB SITEにて
 

2018年九州遊会

#615/13 熊本地震から1年〜伝える作法と伝わる手法〜 光澤大志氏(看護師/九天玄氣組)
去年の4月に熊本を2度の地震が襲ってから、一年が経ちました。今、改めて、この一年の状況を振り返ってみると、様々な「現実」が浮かび上がってきた一年だったように思います。「行政の思惑と避難者の意識の違い」「検証されない噂話」「同じ地域での被害の格差の大きさ」「支援物資の分配機能の未熟さ」「『熊本に地震は来ない』という思い込み」「スーパーマーケットの商品復旧の異常な早さ」「被害の大きかった布田川断層帯上の地域にあった『鯰伝説』の存在」などなど、挙げればキリがありません。しかし、上にあげた「現実」をマスメディアが十分に調査して報道していたかと言えば、答えはノーと言わざるを得ないと思われます。どれもテレビや新聞で十分に伝えられたテーマではないように感じます。もちろん、マスメディアにはマスメディアの「視点」があります。遠くから客観的に見て、必要なテーマを取捨選択するのは、マスメディアの大事な仕事ですので、上記のようなテーマがマスメディアから見て、取り上げるべきでないテーマと判断されたのなら、仕方がありません。しかし、実際に体験した身としては、上記テーマはどれも重要なテーマに思えます。そして、きっと、僕以外にも、震災を経験した人それぞれの目の前に浮かび上がってきた、マスメディアには取り上げられない、それぞれの「現実」があると思われます。¶この回の九州遊会では、特に被害が大きかった、「益城町」「西原村」「南阿蘇村」で、地震当時を過ごした3名をお呼びして、それぞれの目の前に浮かび上がった「現実」を聞かせていただきました。。翌日はオプションツアーとして、観光がてら阿蘇界隈を周遊しました。
 
#627/22 「伝える」と「伝わる」の間にあるもの〈物語/言葉〉 福井崇郎氏(津屋崎ブランチLLPスタッフ、まちの翻訳家)
伝えようと思ったら、伝わらない。伝わらないと思っていたら、伝わっている。言葉で伝える以上のことが伝わっていたりもする。もちろん、伝えたいと思っていたことが、伝わるということもたくさんあるわけだが、「伝える」と「伝わる」のボタンの掛け違いも同じだけ起きている。¶言葉や文字、詩、小説、絵、写真、記号、動画、音楽、作法など伝えるための方法をたくさん発明してきたはずなのに日々の生活の中で、「伝える」と「伝わる」の間にある埋らない溝。では、伝えたいことと、伝わることが日常の生活の中でいつも一致すればいいかと言うとそうでもない気がする。そのすれ違いがあるからこそ、伝わることへの喜びがあったり、分かり合えないということが理解できたりもする。個人がネット媒体のメディアを持つことで不特定多数に情報をたくさん発信できるようになった。ネットを通して知りえる情報がある一方で、伝えることばかりが膨張し、何か偏っているような・力のような、あるいは空のようなものを感じてしまう。それは日常の中にも多く浸食している気がする。そもそも人はなぜ伝えようとするのか、伝わるということを大事にするのか。どうして伝わる・伝わらないということが起きてしまうのか。情報の波が押し寄せる日常から抜け出して「伝える/伝わる」の間にあるものを皆さんとゆっくりと言葉にしながら、そして丁寧に紡いでいく、そんな時間を過ごしました。津屋崎の風情ある古民家Cafe and Gallery「古小路(こしょうじ)」の一室を借り、さまざまなイラストが描かれたカードゲーム『DiXit』で遊び、そのあと「伝える/伝わる」をテーマにフリートークを行い、イメージと言葉の“あいだ”について、それぞれの受けとめ方、感じ方を交わし合いました。